記録
2019年4月22日、打ち合わせのために社長と待ち合わせたが連絡は取れなかった。
打ち合わせ後、思い当たるところに連絡をしたら「亡くなりました」という返事・・・
15年間勤めていた会社生活がこの日を境に一変してしまった。
2003年、社長と出会った。
「うちの会社のホームページ作って、デザインはどうでもいいから仕事が取れるやつ」
なんとまぁ無謀なオーダー。
それまで個人のホームページしか作ったことのなかった私は、「仕事になるホームページ」というキーワードで行き当たったのがSEO。
そうか、検索順位を上げればいいんだ。
まだホームページ黎明期、SEOセミナーに出て一念発起、頑張って作ったホームページを一気にリニューアルした。
そしてGoogleとYahoo!で検索一位を獲得した時には「世界が変わった」
問い合わせが激増。
予約を頂ける度に社長とガッチリ握手をした。
インターネットのチカラ・ホームページでお客様が来る。
本当に時代を感じた。
どこの会社でもあるであろう「人の問題」
そこにぶち当たった私の会社。ある日社長が現場の社員をクビにしてしまった。
私の取った選択肢は「私が現場を手伝うこと」
そりゃあまぁ辛かった。
夏は超アツイ、冬は超サムイ、身体はキツイ
毎晩12時まで現場で働き、それから事務仕事して帰宅。
社長と二人で「よく過労死しないね」って言ってたくらい必死で働いた。
きつくて現場で起きていられなくて、工場の床にマット敷い寝たこともあった。
泣きながら作業したこともあった。
上司と部下じゃなくて、もう同士。
大げんかも何度もした、良い時も悪い時も、本当に一緒に過ごしていた。
あっという間に時間が過ぎていった。
社長が亡くなって、会社を閉めることになった。
片付けは、、、きつかった。
ストレスから身体の調子がおかしくなった。
「社長への恩返し」そう思って頑張った。
そして、片付けも終わり、、、6月28日に起業。
気がつけば元号が変わっていた。
まだ現実を受け入れる事が出来ずにいる。
だから毎日泣き暮らすこともない。
身内のような感覚や、男女のような感覚でもない。
本当に同士だった。
今思うと本当に私の理解者の一人だった。
毎日毎日色々話した。
身内じゃないと亡くなった後も側にもいられない。
骨も拾っていない。
他人なんてそんな立場。
私はお墓も知らないし、ただ行けるのは「あの河原」だけ。
毎日社長のことは思い出すけど、涙はあまり流さない。。。というか、ずっと泣き叫びたい気持ちと、流れない涙。
本当にアンバランス。
米津玄師の「Lemon」を聞いた時、泣いた。
あの歌詞にあるように夢は見ないけど、、、、、
色々な思い出が蘇る。
一緒に事業はやる事は叶わなかったけど、私これからの事業の道は開いてくれた。
感謝しかない。